Windows 7のXPモード(1)

  Windows 7のXPモードは、Windows 7内の仮想マシンで仮想のWindows XP Service Pack(SP)3を走らせるというものです。
 XPモードはデスクトップとスタートメニューをWindows7と共有し、クロスプラットフォームサポートのためにファイルの関連付けは同じになります。
 Windows XPにインストールされたアプリケーションは、Windows7のデスクトップにアプリケーションとして表示されるため、簡単にアクセスできます。
 但し、この機能はWindows 7 のHome Premiumでは残念ながら利用できないので注意が必要です。XPモードが利用できるのはProfessional、Enterprise、Ultimateの3つエディションになります。Windows7_001
 XPモードを起動すると、Windows XPをフル機能で利用できるのです。XPと互換性のあるソフトを使えますし、古いOSで動くけれどWindows7では動かないハードもXPモードでは機能することになります。
 これはWindowsの大きな進歩と言えるでしょう。XPからWindowsVistaに替えたために周辺機器が利用できなくなったというユーザーは少なくなかったはずです。企業が軒並みWindowsVistaの導入を見送った理由もそこにありました。

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WWW・ハイパーリンク

 こうしたTCP/IPを使って送信されたパケットを受信したPCで表示するためのシステムがWWWです。

 WWWは欧州核物理学研究所(CERN)のティム・バーナスリー(Tim Berners-Lee)氏が所内の論文閲覧システムとして1989年に考案したものとされています。

 このWWWというインターネットやイントラネットで標準的に用いられるドキュメントシステムが広く一般に公開されたのは1991年のことです。

 またHTMLという言語で文書の論理構造や見栄えを記述し、文書の中に画像や音声など文字以外のデータや、他の文書の位置(ハイパーリンク)を埋め込むことができるインターネット標準のドキュメントシステムとして1990年代中頃から爆発的に普及し、現在では世界規模での巨大なWWW網が築かれています。

 WWWとハイパーリンクはインターネットで最も多く利用されるアプリケーションです。

 WWWで用いられる技術についてはW3Cが標準化にあたっています。

 HTMLは様々に進歩し、今ではXMLという新しい言語が使われるようになっています。

 こうした新しい技術を開発した人々は科学者や学者で、彼らはARPAネットが共有しているリソースをより効率的に利用するために、ARPAの使用をそのまま受け入れることにしたのでしょう。

 90年代初頭まではインターネットはごく限られた学者や研究者や学生の間でのブームのようなものだったようです。

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パケット・TCP/IP

 ここで、バランが提唱した「パケット交換方式」とARPAが定着させた「TCP/IP」がいかに密接に結びついているかを簡単に説明したいと思います。

 「パケット」というのはデジタル化されたデータの荷物で、「IP」はそのあて先が書かれた荷札という例えが良く使われています。

 ただ、「IP」にはあて先に荷物が届かない場合、戻ってきた荷物を再送する機能がありません。

 またラブレターを送った場合に肝心の「愛してる」という言葉が抜けてしまうこともあるわけです。

 そこで登場するのが「TCP」というプロトコルです。

 「TCP」とはTransmission Control Protocolの略で、大まかに言えば「信頼性」を提供してくれます。

 「TCP」は「IP」という荷札の付いたデータを適当なサイズに分割し、データが巨大すぎて通信が失敗することを防せいだり、送信にあたって一定時間内に応答がなければ再送する形で通信失敗をカバーしてくれたり、分割したデータがインターネットという複数経路を通る過程で、送った順にパケットが届かないことがありえるので、これを並べ替えたりしてくれるのです。

 こうしてIPヘッダの付いたデータ・パケットがインターネット上に送り出され、様々なルートを通ったパケットが迷子にもならず受信者のPCで再び順番通りに並び替えられるのはTCPというプロトコルのおかげなのです。

 データが欠けると意味をなさなくなる電子メールなどの文字情報にはこのTCPが使われます。

 また、現在よく利用されている動画などのストーリーミングでは多少データが欠けても大きな問題はおきないので、コネクションレス型のUDP(User Datagram Protocol)が使われます。

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通信手段の標準化(TCP/IP)

 一方インターネットの基幹技術の「TCP/IP」は1973年にBBN(Bolt Beranek and Newman)のロバート・カーン氏とスタンフォード大学のビントン・サーフ氏によって発明され、その後ARPAに引き継がれ、1980年1月のRFCでは「国防総省トランスミッション・コントロール・プロトコル」として結実し、インターネットの通信プロトコルの堅固な基盤となり、米軍はTCP/IPを正式な軍用プロトコルとして採用します。

 1983年の元旦にはARPAネットからはTCP/IP以外のプロトコルが全て姿を消すことになるのです。

 ちなみにRFC(Request For Comment )というのはインターネットに関する技術の標準を定める団体IETF(Internet Engineering Task Force)が正式に発行する文書です。

 IP (RFC 791)、TCP (RFC 793)、FTP (RFC 959など)、HTTP (RFC 2616)などインターネットで利用されるプロトコルや、その他インターネットに関わるさまざまな技術の仕様・要件を、通し番号をつけて公開しています。

 異なった既存のコンピュータやプラットフォームをネットワークすることから始まったARPAにとってみれば、通信手段だけでも統一することは必要かつ不可欠でした。

 それでも、ARPA内の標準化でさえ、ARPAネットが開通してから10年を超える時間を必要としています。

 インターネットの急速な普及の背景には、このような異なるプラットフォーム間の通信手段の標準化という手間のかかる作業があったことを忘れてはいけないと思います。

 WindowsとMacとUNIXがそれぞれ異なる通信手段を持っていたら、今のようなインターネットの普及はありえなかったかもしれません・・・

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インターネットの開発思想(2)

 インターネットが「もと核攻撃による中央情報施設壊滅を避けるために構想された」という考え方はあくまで国家や軍の考え方であり、実際にIPTOでARPAネット開発に携わっていた科学者たちの考え方はそうではなかったということを先日書きました。

 現にIPTOの3代目部長ロバート・テイラーは「核戦争を避けるためのネットワークがインターネットの母体になったという説が、いかにおいしい話であろうとも、当時のARPAネット責任者として、それは断じてなかったと証言します」という講義文をタイム誌の編集長に書き送っているのですから。

 さらに、IPTO4代目の部長ラリー・ロバーツも「インターネット年代記」の中で先のポール・バランの報告書によって、インターネットは核戦争に耐えるべく軍によって構築されたという噂が広まり始めたことを受けて、「これは全くの間違いである。たとえRAND社がこうした前提にたって仕事をしていたとしても、ARPAネットもインターネットも、リックライダー、クレインロック、ロバーツのMIT派の仕事から生まれてきたのであり、ポール・バランの仕事とは何の関係もない。」と断言しています。

 とはいえ、デジタル通信の萌芽である「パケット交換方式」と「TCP/IP」の技術は現在でもインターネットの基幹です。Paulbalan01

 核攻撃による電磁波の影響を考慮したものであったにせよ、バランがRANDで開発した「パケット交換方式」が当時通信業界の巨人として君臨していたAT&Tの「通信はアナログでやるもので、デジタルでやるものではない」という猛反発を受けたという事実を考えれば、この「パケット交換方式」という技術はIBMと並ぶ世界屈指の企業を根幹から揺るがすものであったことは十分に想像できます。

 だからこそ、ロバーツもバランの技術を積極的にARPAネットに取り入れたはずなのです。

 デジタル通信の基幹を担う「パケット交換方式」抜きに今のインターネットは考えられないはずなのですが・・^^;

 インターネットは「たくさんのネットワーク同士がつながり、無限に拡大する可能性をもったシステム」なので、ネットワークや技術の合流というダイナミズムそのものを、ひとつのシステムとみなしたものです。

 したがってその歴史を考える場合、ひとつのネットワークや技術だけをたどると、様々な偏見や誤謬を生むことになってしまいます。

 タイム誌の誤解も「パケット交換方式」=「インターネットの基幹技術」、「パケット交換方式」=「ポール・バラン」、「ポール・バラン」=「RANDの研究員」という単線的な関係を「インターネット」=「ARPA」というカッコでくくってしまった結果のように思われます。

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インターネットの開発思想(1)

 一時期、「インターネットは国防総省の分散型コンピュータネットワークARPAネットから育ってきたもので、もともと核攻撃による中央情報施設壊滅を避けるために構想された」という俗説が流布していた時期がありました。

 平成11年に初級シスアドの勉強をしていたときは、私自身もそう思い込んでいたのですが・・・

 1994年7月25日号のタイム誌にこの説が掲載されていたので、日本でもこの説が有力と受け取られていたのはやむをえないことのようにも思われます。

 旧ソ連が核開発に成功しスプートニクの打ち上げにも成功していたことを考えれば、当時のアメリカにとって、ソ連のICBM(大陸間弾頭ミサイル)を迎撃するシステムを開発することが急務だったはずですし、万が一核が着弾したときの備えを考えていたことも確かでしょう。

 こうしたソ連への警戒心がミサイルの弾道計算などの高速演算が可能な大型デジタルコンピュータ(SAGEやMITのワールウインド・コンピュータ)の開発を推進したこともまた事実です。Arpanet01_3

 加えて、ARPAネットの通信方式に採用され、後にインターネットや携帯電話の通信方式に定着する「パケット交換方式」の提案者(「パケット交換方式」という言葉は英国のドナルド・デイビスが作り出したもの)が、空軍のシンクタンクであるRANDの研究員ポール・バランだったこと、その彼が1965年に「分散型コミュニケーションについて」という報告書で核攻撃に対抗する耐性を備えた分散型ネットワークを提唱していたことが、誤解の要因になったのだろうということは推測できます。

 一見どちらでもかまわないことのようですが、現在世界的規模で普及し、世界の距離を急速に縮めつつあるインターネットが、米ソの冷戦を背景に生まれたわけではない、少なくてもARPAネットの開発者たちはそう考えていなかったという史実は、インターネットが今後世界平和にもたらすかもしれない役割を考えると、益々その重要さを増していくのではないかと思っています。

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J・C・R・リックライダー

 J・C・R・リックライダー(1925〜1990)が母国アメリカでも注目を集めるようになったのは1985年にハワード・ラインゴールドの「思考のための道具」が出版されて以降のことです。
  この「思考のための道具」は、日本でも「多くのコンピュータ研究者に感銘を与えた名著」として、坂村健氏の「東大教師が新入生にすすめる本」(文春文庫)の中でも取り上げられています。
 リックライダーは専門が心理音響学で、情報通信の正統派の出身ではありません。
 ワシントン大学で心理学・数学・物理学の3つの学位を取得して、同大学の大学院心理学科に進み、ロチェスター大学で1942年に心理学のPh.Dを取得し、その夏に新設されたばかりのハーバード大学心理音響学研究所の研究員に採用されます。
 彼はここで後にARPAネットの構築を請け負うことになるBBN(ボルト・ベラネック・ニューマン)社を創設するレオ・ベラネック博士の知己を得ることになります。
Rrider  やがてリックライダーはノーバート・ウイナーのサイバネティクス理論に魅せられ、ウイナーの方法論を脳のシステム解析に応用する可能性を考え、コンピュータに関心をもつ一方で、MIT(マサチューセッツ工科大学)での潜水艦の探知研究(ハートウェル計画)や防空研究所の設立研究(チャールズ計画)のような軍事研究にも魅せられて、1950年にはMITの音響研究所へ移籍し、さらに新たに設立されたリンカーン研究所の所員になりました。
 この彼のコンピュータへの興味と軍事研究への関与が後のARPAでの活躍へとつながっていくことになるのです。
 若い大学院生を惹きつけるカリスマ性のあったリックライダーは、1953年にMITの経済学部の中に大学院生を集めて心理学の研究をするヒューマン・ファクター・グループを作ります。
 このグループは音源の検出の研究をおこない、ついには博士号の請求にまで進むことになります。
 心理学の研究に無縁の経済学部で、研究のテーマが音源の研究とあっては認められるはずもなく、彼はついにMITを去ることになります。

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マーク・アンドリーセン

 「ビル・ゲイツより45kgほど体重を重くして、背は15cmほど高く、学校には2年長く行き(大学を卒業)、資産は1兆2900億円少ない。

 ピザ、オレオ、バッハ、新聞、アルゴリズム、アイディア、ジョン・ハース、ナボコフ、画像、UNIXのプログラム・コード、帯域幅にガルガンチュアのような食欲を持つ男」Mark_a01

 と評されたことのあるMOSAICの開発者、マーク・アンドリーセンはニュー・リスボン(当時の人口1914人)で生まれ育ち、放課後や夏休みのアルバイトで貯めた小遣いでTRS-80というコンピュータを買い、プログラミングを自学します。

 高校でコンピュータ・クラブに所属していましたが、学校のコンピュータはネットに接続されてはい時代でした。

 彼はやがて高性能なコンピュータと高収入にありつけるエンジニアを目指して、イリノイ大学に進学します。

 彼が学生時代にNCSAで時給6ドル85セントのアルバイトをしていたのは、半ばはお金のためで、あとの半分はコンピュータを自由に使う時間を得るためだったと言われています。

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MOSAIC

 インターネットに革命的な変化をもたらすきっかけとなったのがイリノイ大学のNCSA(全米スーパーコンピュータアプリケーションセンター)で開発されたMOSAIC(モザイク)の出現でした。

 このMOSAICを開発したのが当時まだイリノイ大学の学部生であったマーク・アンドリーセンです。

 彼は当時テキストしか表示できないwww(World Wid Web)に不満をもっており、なんとかして画像も表示できる方法をを模索していました。

Mosaic  彼はイリノイ大学とNCSAの仲間数人の協力を得てUNIX版のMOSAICの開発に成功することになります。1993年の春も浅い頃のことでした。

 MOSAICはGUIを駆使し使いやすく、勿論画像の送受信も可能であした。これが今のブラウザー(ネットスケープ・ナビゲーターやインターネット・エクスプローラ)の原型でなのです。

 彼のグループはその年の秋にはWindows版とMac版を発表し、それらを無償で配布しました。

 ここにインターネット・ブームの発端を見ることができるのです。

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ティム・バーナース・リー

 World Wid Web(WWW)はスイスのジュネーブにあるCERN(欧州素粒子物理学研究所)において、ティム・バーナース・リーが1989年に開発した、ワールドワイドな分散情報システムです。

 WWWの生みの親ティム・バーナース・リーはオックスフォード大学卒業後、プレッシー・テレコミュニケーションの主任技師を務め、イメージ・コンピュータ・システムを経てCERNに入ることになります。Tim_bernerslee

 ティム・バーナース・リーが巨大な研究機関であるCERN内部の情報検索のために、テッド・ネルソンの考案したハイパーテキスト技術を使って、文書をどんな形態にでもリンクできるようにと考案されたのがWWW(World Wid Web)なのです。

 ホームページのURLにwwwが含まれているのはそうした理由からなのです。

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